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家族雑感 [家族]

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(FUJIFILM FINEPIX X100 / SILKYPIX for X100 )

 

 

 

未曽有の大災害発生から早くも一週間以上が経過し、日々もたらされる津波被害や原発の状況、そして
不自由な避難生活の様子を目に、耳にするたびに何かが締め付けられるような思いをしています。
それでも動くところは動かし続けていかないと、そこもいずれは動かなくなってしまう恐れがあると思います。
そんな思いで毎日自分のすべきこと、できることををやってきたつもりです。

しかし、計画停電やそれを回避するための節電などで不自由な生活を送っていらしゃるであろう方々、とり
わけ、普段私の拙ブログにご訪問いただいている関東、東北の方々のブログが更新されていかない中で、
役にも立たない私の道楽ブログを更新する気になれず、この一週間自宅に帰ってもパソコンの電源を触って
いませんでした。
別に更新を自粛していたわけではありません。
その気にならなかっただけなんです。

 

思い返してみると、16年前、阪神・淡路大震災が起きた時、私はこれほどまでに被災地の人々に思いを馳
せていたでしょうか。
今回の被災地周辺には、私の親類縁者、友人知人はいませんが、阪神・関西には多くの親戚をはじめ友人
知人が住んでいました。(幸い、亡くなった人はいませんでした。)
なにより、今回の被災地とは比較にならないくらい近いところなのに、こんなに切なく感じていたのだろうか。
そう自問しています。
時間の経過、被災地の復興と共にそういう思いが薄らいでいき、記憶が曖昧になっているだけかもしれません。

ただ、16年前と確実に違うのは、自分が16歳をとり、その分大人になった(であろう)こと。(苦笑)
そして、自分が家族をもったことです。

16年前にも両親、妹といった家族がいました。
今一緒には暮らしていませんが、彼、彼女たちも、結婚して二児の母となった妹の家族も私の家族です。
でも今は私が守るべき、妻と娘という直接的な私の家族がいます。
そういう存在が、被災地の状況を自分に置き換えさせ、無力な自分を歯がゆく思わせるのでしょうか。

 

週末、大学写真部の後輩急逝の訃報に接し、昨日、葬儀に参列しました。
私が卒業後の入学生で重なりのない世代ですが、例会や写真展には先輩風吹かせて顔を出していたので見
知っていている後輩です。
そして、社会人になって彼が人生の伴侶に選んだ女性は、市内女子大学写真部のOG。
その彼女が学生時代、私が暗室指導(現像の指導)をした記憶もあります。
卒業後の彼女は、キッチンメーカーに就職し、当時務めていた私の職場にカタログを届けたりしてくれていました。
彼が県北の実家に戻り、彼女が寿退社してからは会う機会もありませんでした。

葬儀で小学生の子どもを傍らに泣き崩れる彼女の姿を目の当たりにし、また、やるせない気持ちになってしまい
ました。

 

私には大切な家族がいます。
毎夜、仕事を終えて玄関を開けると、廊下の突き当たりのリビングのドア越しに灯が漏れ、彼女たちの笑い声
(時には泣き声)が私を迎えてくれます。
彼女たちの存在が私を優しい気持ちにさせてくれるのだろうと思います。
そして、多くの被災した家族に思いを巡らさせるのでしょう。

 

 

 

 


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コメント 4

itokaz

更新ありがとうございます。
ストレートに伝わってきました。
by itokaz (2011-03-21 13:37) 

icarus

>itokazさん
ありがとうございます。
by icarus (2011-03-23 21:52) 

寂光

私もブログ更新は控えていたわけではありませんが、同様に更新をする気になりませんでした。
中越での大地震では同じ新潟県に住みながら幸い被害がなかったので、ブログの更新を続けていましたが、この度の大地震の映像を目にしては自然に私的な事でパソコンのスイッチを入れる事さえ気が引けました。

by 寂光 (2011-03-24 12:41) 

icarus

>寂光さん
今度の震災、原発事故の報道に触れるたびに力が抜けていく感じがします。
by icarus (2011-03-26 01:11) 

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